『言の葉の庭』だいたいのあらすじ
映像は出だしから相も変わらず美しい。空模様を映す際に鳥が羽ばたいているところにも、ジョン・ウー並みのこだわりが感じられる。だけどこれ、男女逆だったらヤバイんじゃね?
話のあらすじはだいたいこうだ。
冒頭、都会の満員電車がマジキツイ的なことを、詩的に表現しながら登場する主人公、秋月 孝雄。風貌はスタジオジブリの名作『火垂るの墓』の主人公、清太さんが現代にタイムスリップしたような感じ。でも、空の匂いを連れてきてくれる雨は好きらしい。
そんな主人公の孝雄は、雨の日は新宿で地下鉄に乗り換えず、一限をさぼって庭園のベンチで靴のデザインを考えるようにしていた。そうしていたところで、ふいに昼間からビールを飲む美しい女性、雪野 百香里と出会う。
「雷神(なるかみ)の 、少し響みて、さし曇り、雨も降らぬか、君を留めむ」
由香里はわけの分からん俳句を口ずさみながら初対面時は去っていく。孝雄は胸キュンした。
そこから弁当の試食大会とか百香里に靴のモデルになって貰ったりとか、足フェチっぽい映像とか、色々あって、雨の日限定で交流を深めていく。雨の降らない日が続くとお互い寂しくなったりもした。やがて、百香里が心を病んでいることも分かり、自分の通っている高校の教師であることも分かった。授業で色々あったことが、心を病んだ原因だったことも結構分かった。そのせいで孝雄は上級生と喧嘩したりもした。
そうして、終盤にはふとした豪雨がきっかけで、孝雄は百香里の家に行くことになる。部屋で二人で料理を作り、食べる。そんな中、百香里の「あたい四国に帰るのよ」の一言がきっかけで、「もう帰る!」と孝雄がキレる。百香里泣く。孝雄出ていく。でも、本当はいて欲しかったって気づいた百香里は追いかけた。
そしたら、何か知らんが、階段の途中で孝雄が待っていた。孝雄はのぼせ上がった男っぽい理屈で、チャチャッと百香里をディスった後、結局百香里は孝雄に抱き着く。その後二人がどう過ごしたのかは謎。
時が経ち、四国に帰った百香里に、孝雄は自分が作った靴をベンチに置く。手紙来てた。少なくともあの後住所交換はしていたようだ。
これは事件になりそう……
男女逆にして新聞の事件記事っぽくしてみよう!
以上が、映画の中で起きる簡単な事の顛末だ。映画としての映像美は確かに凄かった。登場人物達の心理描写も景色の端々に投影されているようで、こちらも申し分ない。
だが、これを男女の美しい物語として終わらせてしまうのはダメだろう。現在の日本社会では、この物語の男女が逆の関係になったら、事件性を帯びるに決まっているのだから。
つまり、百香里は女性で美人だったから許されているのである。分かりやすくするために、試しに、この作品のあらすじを男女逆にして、新聞の事件記事っぽくしてみよう。
○○警察書は×月×日未明、自身が過去に勤務していた高校の女子生徒(15)を自宅に連れ込んだとして、27歳の男性高校教師を逮捕した。事件は近隣住民の通報で発覚。階段の踊り場付近で抱き着くなど、わいせつな行為をした疑いが持たれている。
こう書くとどうだろう?作中ではそのような描写は一切なかったが、男女逆であったとしたら、通報されても決しておかしくはない事件である。逆に作中と同じ登場人物の性別であったら、通報される可能性も、事件として立件される可能性も、男性が加害者の場合よりは、限りなく低いであろうと推察される。そもそも相思相愛なのだから。
これって本当はマズイよね…
問題なのは男女逆ならヤバくね?という感想があまりないこと
無論、この作品そのものが悪いなどとは言うつもりはない。法律で保護される範疇を超えた愛の物語の中にも名作は沢山ある。凶悪犯罪を犯しながら逃避行を続ける映画が、超がつく名作として取り上げられることがあるぐらいだ。娯楽や芸術的欲求を満たすための作品であれば、表現の自由は保障されるべきものだろう。
ここで真に問題にしているのは、この『言の葉の庭』に対して、世間の感想や評論の中で「男女逆だったらマジでヤバいんじゃねーの?」という感想がほとんど出ていないことである。
新海監督が、これを男女逆の立場で描いたとしたなら、その勇気を称賛できる。だが、この作品はそうではなかった。「男が生徒のバージョンで作りたかったんだから、仕方ないじゃん!」と言われてしまえばそれまでだが、その意味では「今の時代じゃしょうがないよね……」と思わずにはいられないのが、登場人物の設定に対する正直な印象だ。
この『言の葉の庭』は日本社会が抱える闇を間接的に表している作品であるような気がしてならない。物語上の描写や演出の美しさに、ついつい誤魔化されてしまいそうになるが、「これって、男女が逆だったらシャレにならないんじゃないの?」という感覚は男女を問わず持っていて欲しいものである。
極論を言ってしまえば、本作の設定は、ある種の男の夢……ゲフンゲフンではあるのだが、そこをどうにか乗り越えて、真の意味での平等な感覚を身に着けることができれば、もっと日本社会は良くなるのでは?と思えてならない。
純粋に恋愛映画としては名作だとは思うものの、別の角度からも様々な現代の問題点を考えさせられる映画であった。